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ベンチャー・ビジネス育成支援

 厳しい経済危機を乗り越え、新たな雇用の吸収を行うためには、なんといっても新規事業、ベンチャー・ビジネスの育成は不可欠です。下の事例は、インターネットのプロバイダー事業のベンチャーを育成支援した事例です。

インターネット接続拠点
来月、徳島にお目見え

日本経済新聞 (1995年9月7日)

 世界的なコンピュータ―網であるインターネットの接読サービス会社が徳島市に登場した。四国巡礼の一番札所「霊山寺」(鳴門市)の副住職やミニコミ誌編集者、英会話学校の米国人校長などが設立した「であいネット」(徳島市、立石聡明社長)で、10月に接続拠点を開設する。自らのホームページで観光情報などを発信するほか、ホームベージ作成請け負いや初心者向けインターネット教室も開く。四国では8月に高知市で接続サービスが始まっているが、スクールまで含めた事業化は珍しい。

 インターネットはパソコンと必要な専用ソフトなどがあればどこからでも通信できるが、接続代行業者(プロバイダー)の接続ポイントが大都市部に片寄りがちで、地方からは電話料金がかさむ。
 であいネットは徳島市に接続点を開設し四国の利用者に提供する。インターネット利用が増えてつながりにくくなっているため、電話回線は一般四本に加えISDN(総合デジタル通信鋼)回線も二本敷く。十一月には十回線に増やす予定。
 個人会員は加入費1万円と年会 費2万円で、毎月5時間まで追加 料金なしでインターネットにつなげる。法人会員は年会費19万8千円で、5人までが各人5時間まで追加料金が不要で利用できる。
 また、JR徳島駅前に初心者向けインターネット教室を開く。米アップルコンピュータの「マッキントッシュ」とコンパックのパソコンを合計6台備え、体験講座(2時間で3千円)で電子メールのやりとりやアクセス方法を教える。初級、中級、上級の三コースも設ける。
 このほか「マンダラネット」の名でインターネットの案内画面であるホームページも開設。運営メンバーで霊山寺副住錘の芳村秀全さん発案によるチベットから日本に読出したマンダラのバーチャル(仮想)博物館や、同じく運巻メンバーでジャーナリストでもあるドン・ワイスさんの英文による四国八十八カ所巡礼エッセーなどを発信する。
 このホームページに企業・団体などの掲載を精け員う。画面製作代行も手がける。マンダラネットに連携した独自ネットワーク構築、コンサルティングなどもする。各ネットが物産や行政情報などを流せば、相乗効果が期待できるため、企業や商店街に積極的に働きかける。
 四国ではコンピューター販売の四国情報管理センター(高知市、中城幸三社長)が8月に「バオバブネット」の名称でインターネット接続サービスや関連事業を開始している。

 


徳島発「マンダラネット」世界へ発信

松下政経塾報 (1996年3月1日)

 「マンダラネット」。日本中が宗教に過敏な昨今、ハテなんだろ?というところだが、これは四国徳島県から発信されるインターネットのホームページの名称だ。ごぞんじ四国はあの空海が元祖の真言宗の盛んなところ。地元の歴史にもこだわり、21世紀に向かって世界に情報を発信しようと頑張っているのは立石聡明さん(30・マンダラネット運営事務局)。このインターネットのホームページ開設の技術サポートをしたのが宇佐美泰一郎塾員(松下政経塾7期生。(株)ニューポート代表取締役)だ。
 「マンダラネット」からの「情報発信第1弾は、昨年12月、年の瀬恒例のベートーベンの「第9交響曲」とともに英語やドイツ語など9カ国語で世界に流された。このいきさつは第1次世界大戦(1914年〜19年)までさかのぼる。この大戦中、徳島県鳴門市にドイツ兵の「坂東俘虜収容所」があった。ドイツ兵たちは同所長の配慮で市内を自由に動き回り、パン製造や酪展技術などを伝えるなど地元の人をとも交流した。その当時の捕虜と所員の交流を描いた物語「友情という名のシンフォニー」(写真)が、全世界の子供たちのクリスマスプレゼントとして、発信されたのだ。こうした情報は、わたしたち日本人にとっても新しい発見ではないか。
 立石さんは「アクセス(接続ポイント)ブロバイダーでなく、コンテンツ(価値のある情報を発信できる)プロバイダー」を目指す。もともと、地域おこしのため「地域社会研究会」も開催し、ミニコミ紙の編集も手掛け、パソコン通信ももう15年のベテラン。なんとかしてふるさと徳島の地域おこしをできないか。その思いといろいろな活動が、インターネット「マンダラネット」で実を結んだ。
 これまで地方は、知らず知らずのうちに東京を見ていた。これからは徳島から世界へ目を向けることができる。技術革新が、21世紀に向けて確実に人の心を進化させる。

 

 

 


接続業者プロバイダー急成長

夕刊フジ (1995年9月23日)

 この10月、徳島県徳島市に有限会社「であいネット」(立石聡明社長/資本金500万円)というプロバイダーが誕生する。同県内を中心にインターネット接続業務を行うほか、初心者向けのインターネット教室なども開講。また「マンダラネット」と名付けた自社のホームページで観光情報やチベットの曼陀羅(まんだら)に関する〃仮想博物館〃も開設する予定だ。
 驚くのは、この会社を設立した面々のプロフィル。英会話学校の米国人校長やミニコミ誌の編集者、そしてなんと現役のお坊さんまで参加しているのだ。編集者から社長専業に転身した立石さんが、設立の経緯について話す。
 「ことし4月、英会話学校のドン・ワイス先生が来日されたのですが、彼は昔からインターネットユーザーでした。ところが、徳島にはプロバイダーがなく、大阪のプロバイダーまで長距離電話をかけなければ利用できなかった。そこで、ワイス先生から相談があり、『それなら会社をつくってしまおう』ということで、6月から動き始めたんです」
  立石さんの大学の先輩にあたる鳴門市の一番札所「霊山寺」副住職、芳村秀全さんもメンバーに加わり、わずか4カ月ほどで会社設立が実現。話し合いの中で、初心者向けのスクールを作ることや、芳村さんの提案で曼陀羅の画像データを流す計画も固まった。
 「許認可に関しては簡単にクリアできました。技術的な問題の方が難しかったですね」と立石さんはいういわば「素人集団」による会社設立だが、とくに地方のプロバイダーが不足気味の現在、機材と技術的な知識、そしてやる気さえあれば、だれでも参入できるビジネスといえそうだ。「であいネット」の今後に期待したい。

 

 


インターネットにマンダラ博物館

日本経済新聞  (1995年9月21日)

 「密教の教えは言葉で伝えるよりも目で見てもらうほうが伝わります」。四国八十八カ所一番札所、霊山寺(徳島県鳴門市)副住職の芳村秀全さん(33)は、友人たちとインターネット接続会社を作った 自分たちのページを開設して、チベットのマンダラが見られる「仮想博物館」を流す計画で準備に余念がない。
 マンダラはチベットの紛争で散逸、多くが日本に流入している。博物館は「再び1カ所に集めたりするのは難しいが、インターネットならまとめて見ることができる」と企画、年内オープンを目指している。関係者も協力的で100枚は収録できそうといい、「チベット密教と真言宗は兄弟。「入館料」を集め、チベット難民の子供たちを援助できたら」と意気込んでいる。

 

 

 

 

 

 

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