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第5章 「汝自身を知れ」(自分自身の現在-過去-未来)

 それで、実は、こんなえらそうなこと言ってる私なんですが、正直申し上げて、子供のころは非常におとなしくて、いじめられるとすぐ泣いて、そういう子供でした。全然想像できないと思いますが。それで、体格もこんな相撲取りみたいな体格じゃなくて、ガリガリに痩せてたんですよ、胃が弱くてね。

 それが、いつごろですかね、まあ、小学校の高学年ぐらいからか、中学生ぐらいからか、徐々に性格が変わってきてというか、おそらく倒産のショックから抜け出たんでしょうね。おそらくね。どんどん性格が変わって、いまこんなとんでもないことをやってますけども(笑)。

 私自身がどう変わり、どう志を構築したのかというあたりをお話申し上げたいと思います。実はこれ、ものすごく過去やってきたことを振り返りました。僕の仕事っていうのは、常に前、前、前という世界ですから、振り返るということはものすごく苦痛なんですね。その作業を間に合わせるために、(実はこれをまとめる作業を)今日の12時ぐらいまでやってたんですけども。そのくらい長い時間がかかりました。しかし、たぶんこういうことであろうなと、自分自身いま出せる最大のベストを出したつもりです。それがレジメの5ページ目からをご覧ください。

 過去、いろんな歴史上の偉人がいます。ガンジーだとか、ぼくの尊敬するのではケネディだとか西郷隆盛とか坂本龍馬と弘法大師とか、その人たちが一体なぜあんな偉大なのか。つくづく考えてみたんですけどね、能力的にもそんな、さほどでもない人もえらくなってるんですね。経験といっても、まあ、独りの人間が経験できることといったらしれてますから、知識だって、ベラボウに頭いいっていうわけでもないなと。なにが違うんだろうとずっと考えていくと、結局、やる気とか熱意とか向上心とか、さっきのお役に立とうという精神とか、そういう特別なエネルギーが強くて、これ、ひと言でいうと使命感というんですけどね。なにがなんでもやり遂げるぞと。それがあるからこそ、彼らはあれだけ偉大なことができたんだろうなと。もちろん、時代もそういうことを要請してたんだろうなと思います。

 じゃ、その人たちの生い立ち、あるいは、なんでそんなことを考えるようになったのか。なんでそんな命を張ってでも、金でもない、地位でもない、名誉でもない。命張ってでもそのことをやるんだと。西郷隆盛なんか、最後は死に場所見つけるために活動してたみたいですからね。なんでそんな必死なのか、非常に不思議でした。で、徹底的にいろいろ研究してみました。それで、たぶんこういうことだろうと。

 レジメの5ページを見てください。人生の長い一生を、船が出帆してある目的地に辿り着くまでを例えたいと思います。まず何をするか。船ですから、まず何も無かったら船を造らなきゃならないですね。一番重要なのは何かというと、船です。船を造ります。

 これだけで航海に乗り出せるか。乗り出せません。人生の海図というもの、航海図ですね。こいつを手に入れなければなりません。次に重要なのは羅針盤、コンパスというのがあります。それでなにを測るのか。いま自分がどこにいるかっていうのを測ります。これが重要になりますね。その次、どこに行きたいのか。目標です。目的地。

 ところが、ご承知のように、海というのは深い所とか浅い所とかあります。下手な運航をしてますと座礁します。ですから、船は一直線にこの目的地まで行けません。必ず風の動きとか、あるいは珊瑚礁とか、地形ですね。こういうものを見ながら、一番最適なコース、つまり航路を設計する必要があります。

 つまり、乗組員とか、あるいは燃料とか食糧とか、こういう資源がいります。いくらでも時間使っていいよ、いくらでも燃料使っていいよ。乗組員は無限にあるんだよっていうんだったら、どこへでも自由に行けるでしょうが、この資源というのは限られていますから、一番効率的な使い方をしなければいけません。なるべく早く着きたいと思いますよね。そうすると、最適な航路というのを設計しないといけません。

 しかも、風向きの変化だとか天候の変化なども十分考慮にいれなきゃならない。こうした外部環境が変わって自分の思惑がはずれたからといって、嘆いていてもはじまりませんから。

 大体、いままでの日本とか、いままでの人生というのは、この絵を描けば、まずたいてい間違いなくいったんです。いい学校に入る、いい会社に就職する、いい家を買って、かわいい嫁さんもらって、という安泰な生活をしてきました。会社も一緒でした。売上を上げて、生産性を上げて、コストダウンして、利益追求して。なにをつくればいいかっていうのが決まってましたから。

 ところが、人生の航路っていうのは、いろいろ大きな事件があると、今日のようにバブルが弾けますと、この海図からドーンと風がきてこっちへ飛んでっちゃうんですよ。つまり、海図から自分自身がはみ出してしまう。おそらくいまの日本人というのは、まさにこんな状況なんじゃないかなと思います。

 つまり予め想定した予測の範囲を超えた嵐や台風によって、もともと持っていた海図に載っていないところまで、吹き飛ばされてしまった。

 そうすると何が必要になるか。この航海図を広げて、もっと大きな航海図を必要とするわけですよ。こっち側はどうなってるの?継ぎ足してみる。あっち側、どうなってるの?継ぎ足してみる。こっち側は?こっち側は?こっち側は?どんどん自分の視野を大きくしていく。

 そうするとはじめて、ああ、ここに自分がいるんだなということが、このコンパスを使えばわかるんです。つまり、視野を拡大していくということは、人生に例えると、歴史はどうなってたのかとか、昔の人は何を考えたのかとか、いまぼくらが生きてる時代、ぼくらの置かれた環境、それだけでは、座礁したときには復帰が図れないんですね。そのために原点に立ち返ろう、あるいはいろんなものを調べてみよう、いろんな情報を手に入れてみよう…と考えるわけです。つまり(我々が日頃考えない)物事の本質にまで立ち返って考えるということになります。

 幸せとは本来どういうことか?人間の本質とはなんぞや?自分とはどういう存在なのか?歴史の流れは何を意味するのか?自分は今どこにたっているのか?そして今何をなすべきか?というようなところにまで、歴史や古典を渉猟しながら、深く深く考えて考えて考えぬくわけです。

 例えば、世界でいい公園をつくってるのはどんなのがあるか。「世界」という範囲まで広げてみる。昔の公園というのはどんなのがあったんだろうということで歴史を調べてみる。公園というのは、人間にとって何の役に立つんだろうかと。ぼく、漢字っておもしろいなと思いますよ。こういう意味がわからなくなる。目的がわからなくなると必ず漢字の字を見たら、その意味があるんですね、悩んだときに。そこに原点があるんですね。公園、公、おおやけ、パブリックですね。そして園ですね。この園ってどんな意味だと思いますか。これは「特定の目的を持った人々が集う場所」という意味があるそうです。学園とか幼稚園とかっていいますよね。

この京都政経塾も一つの園です。園は縁に通じるともいいます。たぶん、この園を追求していくと、実はあるべき公園の姿っていうのが見えてくるかもしれない。何を意味してるんだろう。つまり、原点に立ち返る。本質を知るということはそういうことです。ということは時間という軸もあるし、空間という軸もあるし、そういうことですね。

 それとさっき、お客さんのために、お客さんは何を求めているかって、さんざんうるさく言いましたね。そのことを一般化すると、人間とは何かっていうことになりますね。要するに、人間にとって幸せってなんだろうか。価値ってなんだろうか。そういうことになると思います。ですから、自分がいまどこにいて、どこに行きたいか。それと、そこに行くためのプロセスをデザインする。最初はうまくいってるんだけども、これがなんかあって、今日みたいにダーンと海図の外に飛ばされされたときに、もうこれで復旧できなくなっては困るから、どんどん視野を大きくしていく。ということによって、どこに来たときでも、目的地が、皆さんがやりたいことがはっきりしていれば、もう一度航路が描けるわけですよ。

 ところが、もし、ここがはっきりしていなかったら、この復旧の絵は書けませんね。もうその段階でお手上げです。「私、何したらいいの」ということを実はここに書いてます。まず自分の目的地、あるいは自分のいまいる位置。自分というのはなんなのか。これはおそらく、ほとんどあまり考えられてないんじゃないかと思います。あるとき、何かのきっかけで考える機会があると思いますが、普段はおそらく考えられていないんじゃないだろうか。

◆ 汝自身を知れ ◆

 実は私の話をしますと、さっき、倒産したっていう話をしましたね。で、このことを考えたんですよ。どうして考えたのかっていうと、ちょうど倒産したあと、親父やお袋っていうのは非常に真面目に働いたんですよ。本当に誠意を持った人だなと。ところが、お金がなくなってますから、人間というのは奪われたものに対する執着心ってものすごく強いんですね。だから、母親は金の亡者と化しました。ちょうど「金色夜叉」の主人公、あれは男の方、貫一さんでしたっけ。彼が女性にフラれて、そのあとなにになったか。「お宮の松」でやりますよね。「来年の今月今夜は」って。金貸しをやったそうですよ。で、金の亡者になって見返そうと。同じです、うちの母親も。聞いてたら怒るけどね。

 それで、私が何を考えたかというと、自分自身の生い立ちはどうなのか。母親がどういうことを考え、何を幸せに思ってるのか。何かおかしいなと。ということでね、ずっと自分のグラフを書いてみたんですよ。生まれたときはボンボンでした。それが、まさに天国から地獄という、こういう曲線を描いて、川底を蹴ってグッグッグときた。川底より下までは行きませんでしたけどね。ところが、ここの状況を見たときに、まさにお金しかなかったんですよ。心なんてものはないしね、豊かさなんてものはないし、とにかく、金金金だったんです。

 ところが、このカーブを見ていただくときに、2つダブるものを見てるんですよ。戦後の日本。これ、まさに敗戦なんじゃないかなと。同じですね。物質主義で走ってきた。それから、これはぼく独自の見方なんでしょうけど、人間としての円満な幸せっていうの。もっとカッコよくいうと、人類という表現を使いましょうか。実は私、絶頂のところを宗教があった時代と。つまり、神の懐に抱かれて、その中で安心して幸せできた。いわゆる、西洋のキリスト教文明の世界。それが、ボーンとドン底に落ちていってルネッサンスで、産業革命で、人間の力で、とにかく人間がやるんだという形で、どんどん機械的な物質文明が発展してきたんです。

 ところが、さっきも言ったように、環境は破壊されるわ、人間の心はすさむわ。確かに豊かになったんだけれども「おい、ちょっと待ってくれよ」と。だから、両親の姿と日本の姿と人類、文明の姿とダブって見えてきたんですよ。ただ、ここまでくるのにものすごくいろいろ考えましたよ。すぐその結論が得られたわけじゃないんだけど。

 そもそも、えらそうなこと言うんじゃないけども、これは親孝行から始まったんですね。(両親と私は)一緒に苦痛を経験してますから、まさに同志ですよ、どん底から這い上がってきた。弟は残念なことに、このことを経験せず、ここで生まれているんですわ。弟と本音で話をしたときに、おれはこの家族の中で疎外感があるんだよと言ってました。「なんでやねん。」と聞きますと、「いや、このあと生まれてきたから」と。「親父やお袋とかお兄ちゃんはいいよな、この話をいつもしてな」と。「臥薪嘗胆だ、がんばろうっていつも言ってるけど、おれ、除け者なんだよ」って。まさに戦後生まれなんですね。うちの家の中で、弟は。まあ、そんなことを考えたんです。

 で、ぼくの問題点、最初の原点はこれでした。しかも、このときに思ったのは、親父やお袋を救うことも日本を救うことも人類を救うことも、まさに同じなんじゃないかなという仮説を立てたんです。これが大体高校生ぐらいのときかな。まあ、バカな男でしたね、本当に。受験勉強もほとんどやらんと、そういうことばっかし考えてたという??。ぼくはね、勉強せい、勉強せいと言われまくったんですよ、お袋に。まさに拝金主義の論理で勉強せい、勉強せいと言うわけですよ。

 「隣の親戚の○○ちゃんはどこどこへ行ってね。あなたががんばらなかったら、私、見返せないじゃないの」と。なぜだかわかるでしょう、倒産したとき、みんなにいじめられてるから、見返そうっていう気持ちが強いんですね。 いまの日本も一緒でしょう。日米摩擦といったって、結局、戦争に負けたから、怨み晴らそうっていうのが60代以上の人たちの中には大きいですよね。本音の部分でありますよね。

 やっぱり、私、心理は一緒だと思うんです。それが、偉くなればなるほど、これを発展すればするほど矛盾は大きく出てきている。その矛盾ってなんだろうかなっていうのが、実は私の最初の問題意識だったんです。なぜこんなことを考えついたのか。いま、もし皆さんにお話しすることがなかったら、思い出さなかったでしょう。

 出てきた結論だけはしっかり覚えてるんですよ。だけど、どうしてそんなこと考え出したのかっていうことは不思議に思うでしょう。そんなこと、ふつうだったら考えませんよね。そのことをどうして考えたのかっていうプロセスをずっと振り返ってみました。そして決して唯一の答えというわけではありませんが、きっと皆さんのお役に立つだろうと、何かの参考になるだろうと、これからお話したいと思います。

5−1 現在の自分を見つめ直す

 まず最初に、自分っていうのはどんな人間か。いまの自分を見つめ直したんです。自分ってどんな人間なのかって。「汝自身を知れ」ってソクラテスの言った言葉ですね。これね、永遠のテーマだと思います。ところが、なかなかこれ日常考えてないんです。「自分がどんな人間なの?」「 ほかの人と比べてどう違うんですか?」それから「いま幸せですか?」どうでしょう。「自分にとって幸せってなんでしょう?」自分にとって「じゃ、不幸なことはなあに?」「得意、不得意は?」「長所短所は?」「ほかの人からどう見られてるの?」

 「ジョハリの4つの窓」っていう話をここに書いてますが、自分から見た自分と、他人から見た自分と、こうある。自分というのは4つの枠に分けられて、自分から見た自分、ここですね。一般にここはよくわかってるんですよ。ここは、だから丸です。◎、よくわかってます。こちら、自分はよく知ってますから、うんうん、いいんだと。

 ところが、他人が知ってる自分って知らないんですよね。わからない、聞いてみないと。よく自己啓発セミナーなんかで、他人から見られた自分とかいって、メモを回して、あの人はどういうふうな人間かと書かれて、それを突きつけられるっていうセッションがあるんですけれども、あれ見ると、びっくりしますね。こんなふうに見られてるんだなと。もちろん、いい評価もあるし、悪い評価もあるんです。それ見てると「ああ、なるほど、俺って、こういうふうに見られてて、なんだ、こんな一面もあるんだな」と気付くわけです。大体長所っていうのは短所の裏返しですからね、見る見方によって全然違うんです。実は問題はここなんですよ。

 そして秘められた可能性。他人も知らない自分、自分も知らない自分。ここを開拓するのが、皆さんがこれからやることです。これは未知なるものに挑戦してはじめて引き出せる、開発できることです。その前に、でも、自分っていうのはどんな人間か、他人はどう見てるのかっていう部分も整理しとかなきゃダメですね。自分のいまの現在地を知らなきゃいけませんから。で、いまの自分というのも見つめ直す。

5−2 過去の自分を振り替える

 2つ目が、過去の自分を振り返った。自分の父親はどんな人間なんだろうか。自分の母親はどんな人なんだろうか。自分の兄弟、姉妹はどうか。もっとさかのぼって、おじいちゃん、おばあちゃんはどんな人か。なぜこんなこと考えるかっていうと、人間というのは先天的に揉まれた遺伝子、これが、いわゆるDNAの組み合わせによって決まります。

 ところが、実は表にあらわれてる顕在要素、つまり、持って生まれた可能性っていうのはたくさんあって、それがいろんな刺激によって表にあらわれてくる。先天的に持って生まれたものもあるけれども(後天的な要素が最も大きい)。つまり、遺伝子工学の世界でいうと、先祖からの遺伝、この部分。大体上3代たどれば、ほぼ自分の持ってる遺伝子のパターンというのは、どんなパターンなのかわかるんですよ。その要素は全部持ってます。それが表に出てるか、中に隠れてるかの違うだけです。

 ところが、獲得形質といいまして、後天的にいろんな環境の中で刺激を受けながら、それが開花していく。これが生まれてからの努力の要素、あるいは生い立ちの世界でどんなものが出てくるかはわからないんですね。ですから、自分を知るときに、回りの人、上の人、遺伝がどんなものかということで、自分の中の要素がわかるわけです。どういうところが似てるの?どういうところが似てないの?そうすると、遺伝的に出てきた潜在要素っていうのがわかるでしょうね。

 私はいまこういう体格をしてますけど、実はうちの親父も同じ体格なんですよ。うちの家系は大体そうなんですわ。商売人をやってるやつがこういうタイプになるんだね、でも、うちの一族っていうのは勤め人やるとものすごく細いタイプになってるのね。調べていってなんかあるんだなという感じがわかりましたね。

 それから、さっきの生い立ちを振り返るということ。生まれてからこれまで、どんな人生、生い立ちだったのか。さっきグラフを書きましたよね。あれはずっと、どんなふうに生きてきたのかと。あのグラフ、別にきちんと書いて分析したわけじゃないですよ。ただ、どうも、なんか見ていくと、いろいろ感じるところがあるんですね。

 つまり、生まれてからこれまで、どんな人生、生い立ちだったか。しかも、その中で最も興奮し、感激したのはいつ、どんなときだったか。これ、真剣に考えてください。たぶん、そのときの条件を満たせば、今度やる企画も、その要素が入っていれば興奮するということです。これ、人によって要素は違うんですよ。どんなときに興奮するのか、どんなときにうれしいのか。充実感を感じたのはいつかということですね。自らの過去を振り返る。

5−3 未来の自分に想いを馳せる

 次に今度は、自分の未来に思いを馳せてください。

 何をしたいんですか。10年後、どんな自分でありたいか。10年後の自分を想定してみてください。どんな自分でありたいのか。そのイメージを描いてください。たぶん、そこには、皆さんがやりたいというテーマが隠れているかもしれない。つまり、潜在的な部分をこれから開発しようということですからね。

 その次、その状況っていうのは、歴史上の人物とか、あるいは現在でもいろんな人がいますけども、どんなイメージの人なんですか。そうすると、イメージがどんどん具体化してきます。

 おもしろい例えとして、一つのドラマとしてたとえるとわかりやすい。あれはね、1つの人生の縮図だなとぼくは思うんですよ。ドラマをつくりたい、映画をつくりたいって。そのお金を出すスポンサーの人。そして監督が決まって、シナリオライターが決まって、演出家が決まって、で、キャスティングがなされますね。なおかつ、裏では大道具さん、小道具さん、それからストップウォッチでタイムを計る人。それから音楽。これで印象がぜんぜん違う。実は全員の集大成で成り立ってるみたいなもんですね。

 これはまさに、世の中で自分がどういう役割を自分がするのかということです。「大道具とか小道具などは目立たないからおもしろくないな」と、思うかもしれませんが、小道具1つでどれだけ演出が変わるか。大道具のセット1つでどれだけドラマが映えるかっていうのは、舞台をちょっとでもかじった人だったら知ってるはずです。まさに総合芸術なんですよ。それから、音楽。これで印象が全然違う。それぞれの役割があって成り立ってるわけですね。だから、どれがいいとか、どれが悪いとかっていうわけじゃない。

 じゃ、自分はどのポジションでやるのかなと考えてみるわけです。全員が全員、主役をやるっていうことは絶対、世の中ありませんからね。そのかわり、大道具としての自分は自分の人生の主役ですと。だから、人物に例えるとどんな人になるのか。あるいは役者、演劇の中で自分はどんな役割をしてるんだろうか、社会の演劇の中で。それと死ぬまでにどんな人生を送りたいか。これはね、なかなかスッと出てきません。どんな人生を送りたいかっていうのは。特に余命が長い人。若い人は全然浮かばないんですよね。もう人生、後半越え出すと、もうあとが見えてくるから、このテーマが切羽詰まってきます。いずれにしても、残りの残された人生、どう生きるかということです。

 一般に、若くて人生の前半の上り坂上っている人はね、どこまで登るかわからんでしょう。それだけに、人生どう生きるなんて、なかなか考えんと思いますよ。ところが、坂道下り出して、最後のところの時間いくらっていうところになってはじめて、そのことに気付いて、ああ、もっと前に俺はこんなことを考えとくんだったなと、きっと後悔するんじゃないかと思います。

 そのことを考えるためにぼくはどう考えたか。自分の葬式をイメージするんですよ。それで、誰に、どんな弔辞を読んでほしいか。つまり、弔辞を読んでもらう人っていうのは、自分にとっての人生のテーマのお客さんですわ。弔辞の中身っていうのは、その人に対してどんなことをしたのか。例えば、歴史上の偉大な人物にぼくがなるんだったら、あるいは皆さんがなるんだったら、弔辞を読むのは総理大臣でしょうね、おそらく。総理が国葬あげて、この人はこうこうこういう功績を残したという弔辞になるんでしょうね、おそらく。たぶん葬式に全部その人の人生の清算、総決算が出ているんでしょう。そのことを先にやるんですよ。おもしろいこと考えるでしょう。それを考えるとね、意外に浮かびやすい。

 それからもう1つ。これはね、高校時代に考えたんですが、「あと、もし3日しか生きられなかったら、何するか。」高校生ですから表現がまずいかもしれませんが。まず、女とやりまくる。そして、酒飲みまくる。おもしろいこと、やりまくる。3日だったら、それするだろうなと考える。それを順番に期限延ばしていくんです。1ヵ月なら。「ウッ、1ヵ月か。1ヵ月なら何かあとに残るものもできるしな」と、なんかちょっとやろうかなという気になるでしょう。あるいは、言い残した人、会いたい人に会うとかいうことになる。じゃ、1年だったら?そうするといろいろやらなきゃいかんわけですよ。やっぱり食っていくために金稼げなきゃいけなくなったり、なんか出てきますよね。まあ、でも、1年ぐらいだったら、持ってる貯金でなんとかできるかな。5年なら?10年なら?15年、20年なら???これ、どんどん延ばしていくとね、考え方がまともになってくるんです。

 ところが「死んだら?」ということを言うでしょう。ということは、やりたいことをやりたいと思うわけですよ。ところが、10年ぐらいだったら、飲んだり食ったり、それこそ女とやりまくったりどうのこうのっていうのはやれますよ、いくらでも時間があるだろうから。となると違うことを考えますよね。逆にいうと、残された時間、いかに有効に使うかという話になってきますよね。そうなると、本当にやりたいこと。自分の人生のテーマが徐々にできてくる。

 それで、もう一度「人間」というものを振り返ってみると一体どういう存在なのか。そもそも、いつ死ぬかわかんない存在ですよね、もともと。交通事故だったり。本当に事故なんていうのは自分で避けて通れないしね。それから働きすぎのお父さんなんか、いつぶっ倒れるかわからないし。何起こるかわからない。明日もわからないわけですよ。ところが、明日があるものとして生きてますよね。こう考えると、実はいまを生きなきゃ明日も広がらないし、自分自身の人生というのは生きてこないっていうことがわかってくる。で、本当になにをしなきゃいけないかというのが、実は見えてくるんですね。

 これ、余談ですけど、私、このチャートをつくってて、ある人に手伝ってもらった。その人に、お前、これ考えたことあるかと何気なしに見てもらって評価してもらった。彼がなんと言ったか。「宇佐美さん、新興宗教って、こういうことを言ってみんな勧誘するんじゃないの?」って(笑)。

実はね、ホントそうですわ。新興宗教とかっていうのは結局自分の心の迷いがある人たちに対して救いの手をまず差し延べるわけでしょう。それは地位があるとか、権力があるとか、お金があるとか、実績があるとかっていうんじゃなくて、まさに生きる意味を確認してるかどうかなんですよね。だから、この質問をギャッギャッとして、その人の弱い所を引っ張り出して信者にする。そのための、まさに質問集ですよ、これは。別に私の場合は新興宗教やってるわけじゃないですから、お断りをしておきますが(笑)。

 それでね、このことによってなにができるかというと、最初の1枚目に書いた中心の航路、航海図ができるんです。つまり、自分という小さなテリトリーの中の絵かもしれないけども、いまの自分がどこにいて、目標とするポイントはどこなのか。やりたいことはなんなのか。そのためにはどうやって進んでいこうかという航海図を手に入れるということです。で、その結果まず最初の航海に出発する第1の準備ができます。

 そのことができると、今度は5ページの枠の中に書いてあることがわかってくるわけです。結局、あなたはどんな人で、なにがあなたにとって最高の幸福で、そしてこれから先、なにをして、どんな自分になりたいんですか。そして、このことを本当にやりたいんですかっていう、この人生の大切な大切な航路の航海図、これを手に入れることになります。

 さあ、その次。今度は、何かが起こったとき、自分の小さな航海図だけでは原状復帰ができませんね。航海図を大きく、大きくしていかなきゃいけません。そこでなにをするかっていうことなんです。

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